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さくらんぼが結ぶ縁を紡いで
寒河江市 ういこファーム 渡邊初子さん

東京都出身の渡邊初子さんは、山形県寒河江市幸生にある嫁ぎ先のさくらんぼ農家・渡辺農園を手伝う中、2020年に株式会社ういこファームを起業。有機・低農薬の果物や野菜を宅配するメーカーと、生産者をつなぐコーディネートを生業としている会社です。初子さんに、さくらんぼとの出会いや事業についてお聞きしました。

山形、さくらんぼとの出会い

 

「さくらんぼ園地は平地に多いのですが、渡邊家の農園は寒河江市の山間部に位置します。冬は2~3メートルも積もるという雪深さに加え、斜面が多いため街場の畑より苦労が多い場所ですが、標高のある葉山の寒暖差は、糖度の高い高品質なさくらんぼを育ててくれます。渡辺農園の温室栽培は4月から収穫が始まり、“母の日”のご贈答用として好評です」と話す初子さん。初子さんが山形でさくらんぼ農家になる前、将来像を次のように描いていたそうです。

「いつか海外で仕事をしたいとう夢がありました。大学では中国語を専攻し、在学中に1年間北京に留学したり、卒業後に英語習得のためにワーキングホリデーでオーストラリアに渡ったり。その後もバックパッカーとしてアジアやヨーロッパを周遊。海外と取引もある工業系企業に就職後、たまたま知人に連れられてここ寒河江市にある渡辺農園(さくらんぼジャパン)へさくらんぼ狩りに訪れました。みずみずしくツヤツヤで、大きくて真っ赤な甘いさくらんぼに感動したことを今でも覚えています」と初子さん。そのとき農園経営者である祐司さんと出会い、2005年に山形へ嫁いだといいます。「留学やバックパッカーの経験から“どんなところでも暮らせる”という自信がついたことが、山形への移住を後押しすることにもなったんだと思います」

ところが、知らない場所での農家の生活や初めての子育てなど、当初は不安ばかりだったという初子さん。それから農家の仕事を覚え、ママ友やさくらんぼ作業のお手伝いに来る周りの人の温かさによって、徐々にその不安がやわらいでいったのだそうです。

「農家のために」を理念に、販売会社を設立

渡辺農園が出荷していた宅配サービスの仲介役のコーディネート会社を通じ、取引先を徐々に増やしていた矢先、そのコーディネート会社が事業を撤退するという事態に。「事業を引き継いでほしい、と声をかけてもらいました。実は当時、農家に嫁いだことで自分のキャリアがゼロになってしまったような思いがあったことや、仲介業者さんがいなくなったら取引している農家さんがみんな困ってしまうのでは、という思いから2020年に株式会社ういこファームを立ち上げました」

渡辺農園の仕事を通じて農家の苦労がわかるようになり、生産者の過酷な労働に見合う適正価格で安心して販売できるお手伝いをしたいと思うようになったという初子さん。“農家のために”を理念に事業を展開します。事業は、パッケージなど資材の手配、生産者カードの作成や運送会社との交渉など仕事内容は多岐に渡ります。また、2019年に4人のプロジェクトメンバーで立ち上げた「やまがた農場女子ネットワーク(通称・あぐっと)」との関わりも転機となったといいます。

それは、かつて自身が感じていた孤独を抱えた女性農業者の手助けをしたいとの思いがあったから。その活動の中、「日中韓三国協力事務局(TCS)」の若手農村指導者交流プログラムに参加し、中国での研修に参加。「今までの経験が全部無駄じゃなかったと思うようになりました。農業未経験の私が山形県代表として活動したり、さくらんぼを通して英語や中国語のスキルを生かせるなんて、思ってもいませんでしたから。巡ってくるいろいろなチャンスから、多くの刺激をもらっています」

周りを巻き込みながら、自分らしく

ほかにも初子さんは寒河江市で語学教室の先生をしたり、渡辺農園でも海外からの視察を受け入れたりと、“この場所で、自分ができること”にさまざまチャレンジ。初子さんの“誰かのために”という精神や行動力は、周りの人を魅了し、多くの協力者や応援する人がどんどん増えていきます。

「育児がひと段落したら語学力を生かし、さくらんぼや山形のフルーツをアジア圏に輸出する事業にも挑戦したいです。あとはゲストハウスを作るとか、バックパッカーさんにも何かできるかな(笑)」

自身の経験の点と点を線にして、大きな円をつくっていく。ひとり何役もこなす初子さんのチャレンジに、これからも目が離せません。

株式会社ういこファーム

住所
山形県寒河江市大字幸生467番地
URL
http://sakuranbojapan.com/

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