人が集まる洋なし畑に。洋なしと地域の価値を高めたい
洋なし屋iGUSL(天童市) 寺岡 祐さん
就農したきっかけは、変わりゆく地元の風景
大学進学まで天童市で育ったという寺岡さん。祖父母は農業者だったそうですがご両親は非農家という環境もあり、将来就農するビジョンは当時まったくなかったといいます。
「学生時代に留学の経験もあり、“いつかは海外に関わる仕事に就きたいな”くらいの漠然とした夢はありました。何にでも興味を持つ好奇心旺盛な性格もあり、“やってみないとわからない”という気持ちで、大学卒業後は製薬会社の営業職を選択。報酬も福利厚生もよかったのですが、配属先の北海道から天童へ帰省するたび、畑が減っていく地元の景色に寂しさを覚えて、このままでいいのか迷いました。幼い頃の思い出の場所がどんどん無くなっていくんです。樹がすべて伐採された祖父母の畑を見たその時、故郷の原風景を残したいと思い、就農を考えるようになりました」
「ただ、就農したいと思っても、農業は生産するだけでなく自分で売る力が必要だと感じていました。当時24歳の自分は、その営業スキルに自信がなかった。そんなとき、縁あって外資系保険会社に転職しました。“形のないもの”を売れるようになったら何でも売れるような気がして(笑)。完全歩合制の実力主義の組織で経験を積み、やりきったと感じたところで“人生のほとんどの時間は仕事と睡眠なんだから、好きな場所でやりたいことを始めよう”と覚悟が決まりました」
西洋なしに特化した専門農家の決意
27歳で山形にUターンした寺岡さんは寒河江市にある山形県農業総合研究センター園芸農業研究所で1年間の研修を行い、2020年に就農します。
「西洋なしを選んだ理由はすでに天童市でブランドが確立されている点と、それでも可能性がまだまだあると感じたから。ラ・フランスはその名の通りフランス原産で、明治時代に日本へ苗木が持ち込まれたという歴史があります。しかし、原産国フランスでは、気候条件や収穫するまでの栽培期間の長さがネックになり、つくり続ける人がいなくなったみたいで、今ではつくられていないそうです。山形は昼夜の温度差、肥沃な土壌など適した自然環境が整っていたこと、そして根気よく栽培技術を磨き、ブランド品種として発展させた多くの先人の努力があったおかげで、ここで定着したんだと思います。
複合農家にしなかったのは、ブランディングを意識した結果です。西洋なしは、早い品種で8月中旬から収穫でき、遅いものは翌年の1月まで青果物の販売ができます。あとの半年はジュースやジャムなどの加工品を売ってます。西洋なしの栽培において、僕が一番重要な作業だと思うのが冬場の剪定と春先の摘果です。それによって実のなり方が変わります。今あるブランドにさらに磨きをかける意味で、一点突破して突き詰めたほうが価値を高められると信じています。“専門農家”を謳ったことで、コラボ商品の開発やイベントなどの引き合いも増えています」
西洋なしの魅力を伝える取り組み
ラ・フランスといえば豊富な果汁、とろける舌ざわり、そしてあの芳醇な香りが特徴です。収穫時には完熟しておらず、収穫後に追熟期間を設けることで柔らかくなり、甘みが増え、おいしさを蓄えます。
「軸が太い、軸まわりが張っているものがおいしいと言われますが、大切なのは追熟の見極めです。食べ頃は軸まわりを軽く押して、耳たぶくらいの柔らかさになれば甘い証拠です。皮を剥いてからまだ固かったな、と思うときは野菜感覚で細かく刻んでサラダに入れるのがおすすめです。食べ頃のラ・フランスはもちろん串切りでそのまま食べるのもいいですし、生ハムとオリーブオイル、レモン果汁、黒胡椒のオードブルも絶品。食べ切れない場合はコンポートやジャムにしても。といっても好みなので、好きな固さや甘さで自由に食べてほしいですね」
通信販売やSNSの活用などもあり、そのおいしさからファンやリピーターが今では全国から集まるという洋なし屋iGUSL。味の追求のほかにもさまざまな取り組みをしています。
「そのひとつとして、果樹オーナー制度をはじめました。栽培はこちらが管理しますが、1本の果樹のオーナー契約をしてもらうことで果物を受け取ることはもちろん、収穫体験や農園見学ができるしくみです。今日もオーナーになってくれた東京のIT企業の社長さんが収穫に来てくれています。会社の福利厚生に利用していただきながら、収穫の大変さやおいしさを知ってもらうことでラ・フランスの価値を発信してくれます。お互いにメリットがある取り組みです」
収穫作業の開始は楽しそうにしてたオーナーさんたち。「これは農家さん大変ですね。だんだん口数減ってきましたよ」「こんなに持って帰れるなら、スタッフだけでなくお客さまにもお裾分けできますね」と話してくださいました。作業手順や生育状況など説明する寺岡さんの笑顔も印象的でした。
農家と地域の価値を高めて、未来につなぎたい
毎年増収増益を継続し、現在は2ヘクタールの農地で品種も増やしていく予定という寺岡さん。洋なし屋iGUSLの今後についてお聞きしました。
「畑って関係者以外入ることのない閉鎖的な場所というイメージがあると思いますが、農業や西洋なしの魅力を伝えるにはたくさんの人に畑に来てもらうことが一番。オーナー制度だけでなく、今後はボランティアの場づくりにも活用したいです。僕が学生時代に海外ボランティアなどで大切な経験を積ませてもらった東京のNPO法人の支援もかねて。ボランティアは人とのつながりを増やしたり、俯瞰になって自分を見つめ直したりできるもの。若者にとって非日常の空間である畑で得るものは大きいのではないかと思うんです。
“最近の子どもは、魚は切り身で泳いでいると思っている”という例え話がありますが、ここに来れば農作物ができる過程を知ることができる。そしてやったことないだけで、農家が向いていると気づく若者が増えるかもしれない。西洋なしは苗木から育てて収穫できるまで10~15年かかるので、新規就農者さんは、収穫までの期間が短い果樹の栽培を始める人が多いんです。西洋なし農家さんが増えていくためにも、この果物の価値をもっと高めたい。法人化も目標です。僕はその基盤をつくり、息子が社長。まだ2歳ですけどね、将来やってくれるかな(笑)」
屋号にある「iGUSL(イグスル)」は「良くする」の東北の方言。寺岡さんの活動は西洋なしを、農業を、自分の故郷を、未来を、などたくさんの「良くする」を包括していると感じました。寺岡さんの背中を見て社長になりたい若者が今後増えたら、山形の農業はきっと明るいはずです。
ラ・フランスの生産量が全国の約7割を占める山形県。県内でもトップの生産量を誇るのが天童市です。「洋なし屋iGUSL(イグスル)」の寺岡 祐さんは、ラ・フランスをはじめシルバーベルやオーロラなど7品種を栽培する天童市の西洋なし専門農家です。脱サラ後、Uターンし就農5年目という寺岡さんにお話を伺いました。